仕事の連続性と意識の話〜日曜夜の憂鬱に対抗する策はあるのか?
サラリーマンにとって、休日とは開放感と憂鬱さの同居する1日である。
なにせ仕事というものには終わりがない。
常に何かしらのタスクが積み残ったまま休日を迎える。
そして月曜日が近づくにつれ憂鬱になる。
仮にどこかに遊びに行ったとしても、意識の隅には仕事のtodoリストがまとわりつく。
これでは、気分転換もろくにできたものではない。
では、土日にそのtodoを消しに行った場合はどうか。
結果、会社に行くか、自宅でPCを開くのだが、そうなると典型的社畜サラリーマンの出来上がりである。
この問題への解決策は2つある。
1つは社畜生命を全うすべく、休日仕事をすることだ。
実際問題、こうした忠誠心の高い従業員は出世は比較的早いだろう。
会社からしたら、タダで働いてくれるほどありがたい話はないのだから、少しばかりは報いてやっても良いという話になるし、実際土日に働かない従業員に比べ普通に考えたら生産量は多いからである。
しかし、それは時間をひたすら会社に投入しているだけであるし、そこから得られるのは、会社内でのいくばくかの地位とそれに伴う賃金の向上だけである。
2つめの解決策は、一切休日に仕事をしないということになる。
この方法では、日曜日の夜の憂鬱さに対抗する何の手立てもないようであるが、どうすれば良いのだろうか。
結論をいえば、早く寝るしかないと思う。
早く寝て、早く月曜日の朝を迎えるのだ。
日曜日の夜を限りなく短くする。
どのみち夜の生産性など限られているのだ。
現実逃避でどうでもよいテレビを見たり、ネットサーフィン、なぜかカイジを読み始めて日曜から夜更かしとなる。
結果、肝心の月曜日の生産性は著しく下がることになる。
これが一週間の仕事の生産性を下げ、さらなるtodoの積み残し、週末の憂鬱を拡大再生産する。
とにかく、早く寝て早く起きればなんとかなるかもしれない。
そう思いつつ今もこうして日曜日の夜にブログなど書いているあたり、筆者こそ早く寝たほうがいいだろう。
おやすみなさい。